月光の行水

 

 

仕事終わりの夜更け。

一線を画す一線が歪んで

昨日と今日との曖昧な境界線をなぞる。

 

深夜のコンビニは見るからに閑散としていて

バックヤードには店員が居るんだろうけれど

会計はセルフサービスで

店内には機械的な音声だけが鳴り響く。

 

残月は白々しく雲隠れしていたのに

勝色の夜空に浮かぶ月はやけに黄色くて目立つ。

月光の行水。

間接的な陽光でセロトニンは生成されるのだろうか。

そんなことを考えながら

みんなが死んじまった夜更けに

烏の寝床を探す。

 

静寂を切り裂くような背徳的なハミング。

信号機の赤色の明滅。

「生きているだけで幸せ」だなんて

そう思える余裕があるのなら

そりゃあ幸せなんだろうなぁ、だなんて。

懶惰な自尊心は綺麗だと謳われる月の

惨めなクレーターを探す。

 

 

朝日より早い覚醒、6時10分。

 

根の無いスイートピーがすぐ枯れた。

毎日水を変えていたのにと彼女は音を上げた。

格好の良い美しさは薄命で儚い。

永遠なら良いのにな、と

花火の根っこを探すのはナンセンスなのかな。

 

 

洗濯物を干して

寝起き一杯のコーヒーを嗜む。

 

 

今日も雲一つ無い青空だ。

淋しいほどに綺麗で真っ青だ。

いっそのこと泳ぐことが出来たのなら

この淋しさも無かったのかも知れない。

なくなってしまっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

自分の価値を時給換算

 

 

 

急遽休日が出勤へと変わった日。

時間でお金を買っているという感覚が

アルバイト時代の時給換算を彷彿とさせる。

月収でしか給料を換算出来なくなってからは

金銭感覚が狂ってしまった。

学生の頃は料理一品を注文するに際しても

何時間働いた分の金額だということが単純明快だった。

そして時給の価値は時間の価値であり

時間の価値は自分の価値でもあったため

「自分の価値=時給」という方程式のもと

1時間980円で買われていた自分が懐かしい。

 

そんなことはさておき今日は極めて憂鬱だ。

休日が出勤日に変わるなんてクソ喰らえ。

 

そんなことを思いながら

彼女の弁当を作り始める午前5時。

 

見よう見まねで作った弁当のひよこが

潰れて顔面が割れてしまった。大失策。

合計2時間を費やした初の弁当作りに

冷凍食品の偉大さを知る。

 

 

出勤前のモラトリアムに張り付いて

再び眠りについた午前10時過ぎ。

怠惰な生活が唯一の十八番。

 

朝食か昼食かも分からない食事を摂って

出掛けさせられる動機に嫌悪を抱く。

転げる空き缶を拾う善意などは持ち合わせず

転んだ少女を横目に颯爽と車を走らせる。

 

カーラジオのプレイリストには

出勤前のいつもの憂鬱が張り付いている。

おかげで大好きな応援歌にも

いつだって出勤前の憂鬱が縋り付く。

相打ちどころか嫌いになりそうだ。

 

自動販売機に100円を盗られた昼下がり。

どれだけの自分が失われたのだろう。

全くもってついてないよな、今日はさ。

 

 

 

 

背伸びをしていた面影に届かないまま

 

 

 

夜勤終わりの高揚。

解放感が心地良いのは分かるが

多弁的な先輩の無駄口にはどうも辟易してしまう。

 

晴天に張り付いた残月の白々しさが

時々雲隠れをする。

不眠症の月。寝ぼけ眼でおやすみ。

 

アラームで起きる13時。

時間に追われる焦燥感も空回りばかりで

特に予定も無いのに惰性に鞭を打つ。

 

 

何となく5年前のツイッターアカウントを開いてみた。

更新も時間も止まったままのアカウント。

本で読んだ知識や言葉をひけらかすように

不格好な文字の羅列はやはり不細工で

背伸びをしていた面影に

忸怩たる思いで対峙する。

 

しかし不細工ながらも自分の気持ちを

自分の言葉で綴っている内容も多くあって

今より遙かに考えることがあったなとしみじみ思う。

 

いくつか交友関係も変化して

充実している気持ちにはなるけれど

一人で考え込んで見い出してきた

昔の自分と比して抱く劣等意識が

焦燥感を募らせる。

楽しいよ。楽しいけどさ。

 

思いは徐々に遡行していくのに

相反してどんどんと流れてゆく時間。

 

心地良い不幸の激情に揺れていたあの頃とは異なって

今はぽかんとした空洞化を感じる。

 

幸福は怠惰な停滞か。

盲目的な思い込みか。

 

改めて僕は過去の僕より幸福なのだろうか。

背伸びをしていた面影に僕は未だに届かないままで。

 

 

丁寧に生きたい

 

 

 

朝からシャワーを浴びる休日。

流れる温水の安寧。

浴室は寒気を纏い

シャワーから出るタイミングを逃してしまう。

奮発して購入した高価なシャンプーが

残り半量を切って震えている。

 

退浴後の化粧水。

彼女が毎日使っているので

見よう見まねで使っているのだけれど

果たしてどんな効果があるのだろう。

僕には良く分からない。

 

 

丁寧に生きたい。

そう思いながらもふと気が抜ける時がある。

暖房がついた部屋の開いたままの扉や

置きっぱなしの飲み残した缶ビール。

埃の溜まった本棚。

なんて枚挙に暇が無いけれど。

 

丁寧に生きたい。

日に焼けて色付いたような健康色のフレンチトーストと

お気に入りのマグカップに注ぐ

ほろ甘いモーニングコーヒー

丁寧な暮らしに丁寧な言葉。

 

そんな生活に憧憬を抱くものの

なし得ないのが現実だったりする。

だからこそせめてもの悪足掻きで

惰性で生きる生活を惰性で生きるなりに

不格好な言葉で残す。

 

早起きに努めて休日を営むも

予定や計画も無く

全くもって中身はがらんどう。

 

今日の雲一つ無い青空もがらんどう。

雲のかたちでの連想遊びも出来ない。

 

そんな味気ない日常を反芻し

再度咀嚼して味を出す。

 

遮光カーテン越しの影法師。

洗濯物を干す姿を眺めながら

怪獣に見えないかと想像する。

見えないか。

 

丁寧に生きたいと願う。

いや、丁寧にしていたい。

 

早起きしたせいか眠たい。

惰眠では無く疲労感から来る眠気だと信じたい。

眠るならいっそ充実した睡眠を取るべきだ。

だなんて、

そういうことじゃないか。

 

 

 

 

 

溶けゆく粉雪に体温を知る

 

 

夜勤明けの朝。

疲労から生まれる高揚感は当てにならない。

それに伴う空腹感も決して当てにはならない。

 

空腹感を頼りに立ち寄ったコンビニでは

「いくらでも食べられる」といった

空っぽな万能感が生まれる。

空腹時に買い込むコンビニ弁当は

力量に見合わず、食べきれず。

後悔ばかりの残渣物。

 

だからあれほど言ったのに。

やはり夜勤明けの高揚感は当てにはならない。

 

気分の変動が著しいときには

曖昧な受諾はしない。

無計画な約束はしない。

分かっているんだけれど。

 

 

 

 

暗がりの井の中、水鏡越しの自分自身と言葉を交わす。

独白と誰何の果てに原形を留めていない蛙。

 

 

井蛙の夢想。

水鏡越しの自尊。

誰何で象る歪みきった自己像は

原型を留め切れずに嘔吐。

独白を繰り返す自己嫌悪の籠城。

倒錯を積み上げる自己弁護と焦燥。

空の青さと引き換えに知り得る孤独。

雲一つ無い澄み切った青空は

何処か深くて溺れそうになる。

 

 

薄暗い照明とつけっぱなしのテレビ。

静寂を切り裂いて流れ出す冷笑的な憐れみ。

それは私にとっての代替的な嬌声。

平穏な幸せなんて不釣り合いが故に

息が詰まる生活こそが心地の良い酩酊。

嘔吐が素面を誘う前に、

私は酔いどれのまま未来と情死すべき。

どうか嫌気がさしてしまう前に。

冷たく無酸素なこの幸せに。

どうか絶望を抱いてしまう前に。

首を絡げるその温もった手に。

 

 

 

籠城した自己嫌悪の独白だけでは

自分自身を好きになれるはずが無かった。

ボタン一つで消えてしまう所属感に

虚しささえも感じてしまうこともあった。

「自分とは何だろうか」との問いは

人間たらしめるものであり

自然に誘発される感情でもあるはずだ。

そして自分自身とは一面的なものではなく

関わりの数だけ自分自身が存在するもの。

なんて気付かせてくれるのは

何気無い気の抜けた一言だったりもする。

関わりの中で誘発される感情は

決して良いものばかりではないけれど

しっかりと自分自身の言葉で

自分を形作っていきたいな。

たとえそれが独白だとしても。

 

 

積もりそうも無い降雪はせめてもの悪足掻きに

黒いコートを白色に染めては足跡を残す。

徐々に寒色を纏い始める身体に

寒空の温度を知り

肌色に触れて溶けゆく粉雪に

いくつか僕の体温を知る。

午前10時過ぎ。

 

 

不眠症の恋文は当てにならない。

そんな今日におやすみ。

 

 

 

ノートを破り捨ててしまう衝動性

 

 

 

 

魘夢も薄らいでゆく午前9時、起床。

 

彼女の誘いもあって近所のコーヒーショップで

キャラメルフラペチーノを嗜む甘い火曜日。

時々感じる口渇感がじれったい。

 

隣の席には制服姿の学生らしき男の子。

消しゴムを使って修正する仕草。

僕には持っていないものを持ち合わせている気がした。

 

 

結婚式に呼べる友達が居ない。

 

学生時代は交友関係に不自由を覚えることは無かったのだが

いざという時に呼べる友達や

頼りに出来る友達が居ないことを改めて痛感した。

 

便りのないのはよい便りとは言うが

案外寂しく感じるものだ。

このままではかつて笑い合った友人の吉報どころか

訃報さえも耳に届かないのでは無いだろうか。

 

僕はどちらかというと衝動性の高い傾向だ。

飽きっぽくてストレスに対する閾値も低い。

悲観的ですぐさま見限る諦観を持ち合わせている。

 

だからこそ激情の誘いには肖るが

連続した関係を保持することが不得手だ。

 

どうしても自分を良く見せたくて

一つの瑕瑾が生じると取り戻すことが億劫となり

投げ出したくなる。

それは逆も然りで

相手の欠点を見つけるとそこに執着をして

陰性感情ばかりを募らせてしまう。

 

一面しか見ることの出来ない視野狭窄

どうにもしない億劫さが

関係性を見限ってしまう。

 

授業の板書をノートに書き写す行為も

楽しみに始めた交換日記も

消しゴムで修正することが嫌いだった。

かといって一ページのみを破り捨ててしまうことも

美しくないと感じて

ノートごと捨ててしまう、

そんな人生だった。

 

今思えば空白ばかりを積み重ねては破棄し、

手元に残ったものなんて無い。

感性も言葉もそうだ。

 

間違いの無い人生なんて無い。

失敗を恐れていたら停滞するのは当然だ。

 

美しさとは何だろうか。

人間らしさとは。

 

 

 

殴り書きの駄文で埋め尽くされる日記も

不器用な言葉で綴られる気持ちも

どうか大事に残していきたい。

 

泥臭く生きた轍も

肯定していきたい。

 

 

混ざり切らずに沈殿したキャラメルが甘ったるい。

次はしっかり混ぜてから飲もうねと苦笑する彼女。

積み上げていきたいと感じた12時3分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駄文は完璧主義への自傷

 

 

 

 

4度目のスヌーズで起床。

再入眠と覚醒の間を揺蕩う

目覚めの悪い午前8時。

空はグラデーションの無い雨模様。

 

 

朝食に昨日の夕食の残り物を食べる。

懐かしい味。

使い終えた小皿は置き去りにして

再びベッドに戻る。

そんな日々。

 

 

ショッピングモールからの帰り道。

両手は手提げ袋で塞がって

手を繋ぐ隙も与えない。

 

いつからか時間は有限だと教えられ

消費する対価として何かを得なければならない

と焦っていた。

外出をするにしても労力や時間に見合い

形に残るものを優先付けて得ようとしていた。

 

高額な洋服、映える写真、新調する文庫本。

 

何かを得なければ帰ることを許せなかった。

ある種の強迫観念の虜になっていて

手持ち無沙汰で着く帰路は虚しささえも感じていた。

 

そんな焦燥を向上心と呼べるはずもなく

「どうせ」と見限る態度や億劫さが漸増して

出掛ける回数も漸減してきていた。

 

失敗を恐れていたからだ。

 

しかし、失敗と感じるのは一体誰なのか。

 

形に残せていないのは自分自身なのではないか。

拾えるものを拾えていないのは自分自身なのではないか。

 

自分の才の無さを恨みながら綴る駄文。

支離滅裂な連想の中でも

捨ててしまいがちな感性をどうか救済したい。

 

そんな失敗や駄文の積み重ねは

完璧主義への自傷だ。

 

傷付いて傷付いて強くなりたい。

 

 

 

たまには繋いだ手の温もりを

大事に持って帰りたい。