駄文は完璧主義への自傷

 

 

 

 

4度目のスヌーズで起床。

再入眠と覚醒の間を揺蕩う

目覚めの悪い午前8時。

空はグラデーションの無い雨模様。

 

 

朝食に昨日の夕食の残り物を食べる。

懐かしい味。

使い終えた小皿は置き去りにして

再びベッドに戻る。

そんな日々。

 

 

ショッピングモールからの帰り道。

両手は手提げ袋で塞がって

手を繋ぐ隙も与えない。

 

いつからか時間は有限だと教えられ

消費する対価として何かを得なければならない

と焦っていた。

外出をするにしても労力や時間に見合い

形に残るものを優先付けて得ようとしていた。

 

高額な洋服、映える写真、新調する文庫本。

 

何かを得なければ帰ることを許せなかった。

ある種の強迫観念の虜になっていて

手持ち無沙汰で着く帰路は虚しささえも感じていた。

 

そんな焦燥を向上心と呼べるはずもなく

「どうせ」と見限る態度や億劫さが漸増して

出掛ける回数も漸減してきていた。

 

失敗を恐れていたからだ。

 

しかし、失敗と感じるのは一体誰なのか。

 

形に残せていないのは自分自身なのではないか。

拾えるものを拾えていないのは自分自身なのではないか。

 

自分の才の無さを恨みながら綴る駄文。

支離滅裂な連想の中でも

捨ててしまいがちな感性をどうか救済したい。

 

そんな失敗や駄文の積み重ねは

完璧主義への自傷だ。

 

傷付いて傷付いて強くなりたい。

 

 

 

たまには繋いだ手の温もりを

大事に持って帰りたい。