ノートを破り捨ててしまう衝動性

 

 

 

 

魘夢も薄らいでゆく午前9時、起床。

 

彼女の誘いもあって近所のコーヒーショップで

キャラメルフラペチーノを嗜む甘い火曜日。

時々感じる口渇感がじれったい。

 

隣の席には制服姿の学生らしき男の子。

消しゴムを使って修正する仕草。

僕には持っていないものを持ち合わせている気がした。

 

 

結婚式に呼べる友達が居ない。

 

学生時代は交友関係に不自由を覚えることは無かったのだが

いざという時に呼べる友達や

頼りに出来る友達が居ないことを改めて痛感した。

 

便りのないのはよい便りとは言うが

案外寂しく感じるものだ。

このままではかつて笑い合った友人の吉報どころか

訃報さえも耳に届かないのでは無いだろうか。

 

僕はどちらかというと衝動性の高い傾向だ。

飽きっぽくてストレスに対する閾値も低い。

悲観的ですぐさま見限る諦観を持ち合わせている。

 

だからこそ激情の誘いには肖るが

連続した関係を保持することが不得手だ。

 

どうしても自分を良く見せたくて

一つの瑕瑾が生じると取り戻すことが億劫となり

投げ出したくなる。

それは逆も然りで

相手の欠点を見つけるとそこに執着をして

陰性感情ばかりを募らせてしまう。

 

一面しか見ることの出来ない視野狭窄

どうにもしない億劫さが

関係性を見限ってしまう。

 

授業の板書をノートに書き写す行為も

楽しみに始めた交換日記も

消しゴムで修正することが嫌いだった。

かといって一ページのみを破り捨ててしまうことも

美しくないと感じて

ノートごと捨ててしまう、

そんな人生だった。

 

今思えば空白ばかりを積み重ねては破棄し、

手元に残ったものなんて無い。

感性も言葉もそうだ。

 

間違いの無い人生なんて無い。

失敗を恐れていたら停滞するのは当然だ。

 

美しさとは何だろうか。

人間らしさとは。

 

 

 

殴り書きの駄文で埋め尽くされる日記も

不器用な言葉で綴られる気持ちも

どうか大事に残していきたい。

 

泥臭く生きた轍も

肯定していきたい。

 

 

混ざり切らずに沈殿したキャラメルが甘ったるい。

次はしっかり混ぜてから飲もうねと苦笑する彼女。

積み上げていきたいと感じた12時3分。